東北新幹線初の死亡事故=1983年8月

東北新幹線200系=フリー素材館撮影

楽しいはずの里帰りが一転し悲劇となったのは今から36年前、昭和58年8月のことである。宮城県高清水町の東北新幹線トンネルで、10歳の女の子が新幹線にはねられ即死するという悲しい事故が起きた。家族が新幹線に取り残され、不安に怯えた少女は一人線路を歩いていった。

昭和58(1983)年8月4日、宮城県栗原郡高清水町の古川-一ノ関駅間(当時くりこま高原駅は未開業)を走っていた大宮発盛岡行きやまびこ35号、川村義雄運転士は、第一高清水トンネルに差しかかった時、床下から鈍い音がしたのを感じ取った。線路に異常があるのではないかと考え、列車無線を使って報告。古川新幹線保線区の係員が現場付近を調べたところ、入り口から60メートルほど入ったところで、頭がほぼ吹き飛ばされた状態で即死している女の子を発見した。

仙台中央鉄道公安室と宮城県警築館警察署で調べたところ、この女の子は埼玉県川口市元郷の運転手森谷一夫さん=当時(37)=方の長女美保子さん=川口市立元郷小4年、当時(10)=とわかった。

美保子さんは母親の正子さん=当時(37)=と兄の3人で下りのやまびこに乗り、宮城県加美郡宮崎町の正子さんの実家に戻る途中で事故に遭った。美保子さんは午後7時17分、宮崎町の最寄りとなる古川駅で下車した。母親と兄の2人も一緒に降りるはずだったが、帰省客で車内はごった返していて、また荷物を下ろすのに手間取っていたため、わずか1分の停車時間は過ぎ、列車は発車してしまった。

美保子さんは一人気が動転する中で、家族を追いかけようと思い、駅の北側にある安全柵をすり抜け、保線用通路を伝って一ノ関方面に歩いていった。美保子さんは11キロの距離を歩いたところで、トンネルに差しかかった。そこまでは線路の両端にあった通路も、トンネル内は中央部にしかなく、美保子さんはそれに気づかないまま線路を歩いていった。そして後続の新幹線にはねられた。

古川駅では当時、駅では助役が1人で監視カメラ2台を使って安全確認していたものの、乗客が平日より多い上に、上りの新幹線で急病人が出たためホーム要員の駅員が出払っていた。また美保子さんが降りたのは新幹線の先頭車両であったということもあり、死角になっていた。

不幸な偶然が重なった結果、一人の少女はばく進する列車にはねられ命を落とした。悔やんでもくやみ切れないだろう。

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