そして少女は二度と帰らなかった 宇都宮・踏切で足挟まれる 電車にはねられ女児即死=1983年

東北線第二今泉踏切=宇都宮市今泉新町

4、50代の世代が最も記憶に残っている事故として、踏切のレールに足を挟まれて死んだ子がいる、という話がある。この話は都市伝説にまでなっているが、これは実際に起きた事故だ。ミニバスケットボール部の当時10歳の少女は下校途中、踏切のレールと補助レールの隙間に足を挟まれ、ばく進する列車にはねられ命を落とした。これは昭和58年の出来事である。

1983(昭和58)年3月8日、栃木県宇都宮市今泉新町52地先、国鉄東北本線第二今泉踏切で、10歳の少女が踏切のレールに足を挟まれた。

事故に遭ったのは、同市今泉新町196、会社員高尾昇一さん=当時(52)=方の長女浩子ちゃん=当時(10)=。この日浩子ちゃんは通っていた小学校で、所属しているミニバスケットボール部の部活動の練習を終え、友達2人と下校の途中だった。午後6時10分ごろ、浩子ちゃんが踏切道内の上り線(上野方面)のレールに差しかかった時、線路と踏切の補助レールの隙間に右足首をはさみ転倒した。自力で足を引き抜こうとするが、一向に抜けなかった。見かねた友人2人と、通行人の女性が一緒になり、足を引っ張ろうとしたが、浩子ちゃんは「痛い!」と叫ぶため、無理をすることもできなかった。女性は宇都宮駅に電話をしようとしたが、公衆電話は近くになく、また当時は住宅地も遠く、気が動転してしまった。

そして5分後、無常にも踏切の警報機が鳴り出し、遮断器が降りた。浩子ちゃんは「死にたくない!」と叫ぶなか、直後に黒磯発上野行き上り普通電車(伊藤慎一運転士)が通過。浩子ちゃんは風圧ではね飛ばされて即死した。
伊藤運転士の話によると、現場の約50メートル手前付近で異常に気づき、非常ブレーキを使ったが間に合わなかった。

浩子ちゃんは3人兄妹の2番目。高尾さん一家はとても仲がよく、夏休みなどには家族旅行をよく楽しんでいたという。現場に駆けつけた兄弟と家族は、あまりに不運な事故に泣き崩れた。そして浩子ちゃんが背負っていた赤いランドセルは、ほとんど無傷のままで、棺桶に入れられた。二度と帰ることのない場所へと、浩子ちゃんとともに旅立っていった。

その日、報道陣相手に記者会見した同小校長は「迫り来る列車をみて、どれだけ恐ろしかったことか」と涙を浮かべていた。この事故の反響は大きく、TBS系ワイドショー「3時にあいましょう」や「おはよう!ナイスデイ」などは連日この事故を特集した。身近に潜む恐怖に、改めて子を持つ親たちはため息をついたことだろう。

この事故は国会でも取り上げられた。元国鉄動力車労働組合委員長で当時社会党の目黒今朝次郎議員は、同年5月13日の公害及び交通安全対策特別委員会の中で、この話に触れた。政府側委員の答弁によれば、国鉄が後日鉄道学園の実験線にある実験用踏切で行った実験では、浩子ちゃんが履いていたのと同じくらいの靴では、レールと平行に足を向けた場合容易にレール間に入ることが判明したが、また逆に容易に抜けることが判明。このため、捻挫などの別の原因が重なったことが原因ではないかと話した。その後国鉄では、応急措置として教育庁や学校などの関係機関に対し、児童への指導協力を依頼。またその後、通学路などに設置される踏切を対象にアスファルトの填充またはゴム製の詰め物を挿入、レールと踏切の隙間を浅くして事故の防止を図った。

国鉄は1年以内にほぼすべての踏切にコンクリートないしゴム製の詰め物を入れ、踏切の隙間を浅くした。その後同様の事故が今日まで起きていない。私たちが普段、何気なく通っている踏切には、こんな悲惨な歴史があった。現在現場には今泉新町安全観音が建てられている。事故から2ヶ月たった5月、町内会の人と宇都宮市が建てたものだ。

出展
読売新聞縮刷版1983年3月
朝日新聞縮刷版1983年3月
下野新聞縮刷版1983年3~5月
参議院会議録情報 第098回国会 公害及び交通安全対策特別委員会 第6号
(http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/098/1576/09805131576006a.html)

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