送月現語 2019年1月31日

 また、幼い命が奪われた。親の手によって。子殺しのニュースほど、目にしたくないものはない。なぜ、自分の腹を痛め、祝福されたはずの子供の命を、いとも簡単に奪えるのだろう。子殺しの親の深層心理には、相当病的なものが潜んでいる

 ▼千葉県野田市で、小学4年生の女の子が自宅で殺された。亡骸には、父親の手によって加えられたと思しきあざが痛々しく残っていたという。傷害容疑で捕まった父親は、あくまでしつけをしていた。生活態度を注意したらもみ合いになったと供述している。ならばなぜ、母親が正反対の話をしているのか。談によれば、夜中に娘を起こして立たせることがあったという。生活態度を注意するとか、しつけをするのに夜の夜中に起こして立たせ、あるいは殴る蹴るの暴行を加える意味はなんなのか

 ▼今のところ、この父親はまったく不合理な弁解と嘘を重ねている。幼児の教育に時として力が必要であることは認めよう。説いても理解できないなら、最終的には軽くはたくとか、ある程度の罰を与えることも必要であろう。親子間の愛があることが条件で。しかしこの父親には、子供に対する愛情は全くなかっただろう。自身のいら立ちやうっぷんを晴らすために、この少女に当たっていたのではないのか

 ▼この事件では柏児童相談所の手落ちが指摘されている。一昨年の11月、学校のアンケートで虐待をほのめかし、一時は児童相談所が保護した。しかし父親は児童相談所の面談で虐待を否定し、また学校生活でも落ち着きがみられるとして保護を解除した。そして児童相談所は、自宅に帰すことを決定した。報道各社によれば、「父親が怖い」と話していたという。にも拘わらず、父親は虐待を否定した。そしてみすみす、暴力父の元に返す決断をした

 ▼児童相談所の所長は会見で、「解除の判断は妥当だった。しかしその後の対応が不足していた」と述べた。この話を聞いて、強い憤りと義憤にかられる。少女の死につながったにも関わらず、解除は妥当だったと言える根拠は何か。妥当だったなら、なぜ帰宅させた後、一度も家庭訪問しなかったのか。なぜ父親の残虐性を見抜くことができなかったのか。所長はそのほかにも、「虐待の程度は小さかった」、「学校での見守りが中心だった」とも釈明しているが、全く言い訳に終始するばかりで、安否確認を怠ったことなどに対する反省の弁が殆どない

 ▼聞くところによれば、チンパンジーの世界にも子殺しがあるという。人はチンパンジー以上の知性と理性を持っているはずだが、どうやらこの父親はチンパンジー未満のようだ。獄中でこの父親を改心させることは、おそらく困難だろう。かつて福田赳夫元首相は、「人命は地球より重い」と言った。その命を奪った父親、そして残虐な父親の元に帰し、死においやった児童相談所は、その責任をどう取るのか。

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